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源平と須磨寺

平敦盛
平敦盛(たいらのあつもり)像

平敦盛公は平清盛公の弟平経盛公の子で、従五位に叙せられたが、官職が無かったので世に無官の大夫と言われた。一の谷合戦で、源氏方の熊谷次郎直実公に討たれる。(1169~1184)

平家物語によれば寿永3年2月鵯越えの坂落としにより、平家方が惨敗を喫し、海岸へと味方の船を求め殺到した。直実も平家方を追って、沖の方へ馬を泳がせている若い武将を見つけた。「後ろを見せるとは卑怯なり、返せ、返せ」と呼んだところ、若武者は馬を戻した。二人は一騎討ちとなり、共に馬から落ちて組み合いとなった。直実が勝って、首を取ろうと相手の顔を見た。あまりに美しいので、名前を尋ねると、自らは名乗らず、直実に名乗らせた。その名前を聞いて「良き名前なり、我が名は誰かに聞けば知っている者もあろう」と言って、首を差し出した。直実はためらったが、他の味方の兵士が近付くのを見て、涙をのんで、その若武者の首をはねた。その時に、若武者の腰の笛に気づいた。その戦の朝、陣中で聞いた美しい笛の音色は、この若武者のものであったのかと思いいたった。このことから、直実は、殺し合わねばならない戦の世に無常を感じ、出家を決意することになる(後に熊谷蓮生坊)。この笛が小枝の笛と呼ばれる通称青葉の笛である。

熊谷直実
熊谷直実(くまがいなおざね)像

一の谷の合戦(地図)の旧跡が残り、当寺は源平の名所として知られている。往古より青葉の笛は国の重宝であり、松尾芭蕉を始めたくさんの人々が訪れている。また、謡曲「敦盛」、舞「幸若」にも登場し、歌舞伎、映画、舞台などに大人気で演じられている。

毎年、旧暦の2月7日(旧暦なのでその年によって変る)には一の谷合戦源平戦士の追悼法要が行われる。

源平の庭

源平の庭

今から八百年前の平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭です。
当時十六歳の無官太夫平敦盛が一の谷の浜辺において、源氏の武将熊谷直実に討たれた話は平家物語の中で最も美しく、最も悲しい物語として古来語り継がれております。
庭前には、「笛の音に波もよりくる須磨の秋」の蕪村句碑があり、庭の角には弁慶が「一枝を伐らば一指を剪るべし」と制札を立てた、歌舞伎「一の谷嫩軍記」にも登場する「若木の桜」があります。

一の谷の合戦位置図
一の谷の合戦(いちのたにのかっせん)位置図
平氏略系図
平氏略系図
熊谷氏略系図
熊谷氏略系図