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歴史年表

886年(仁和2年)
開祖聞鏡上人、光孝天皇の勅命により上野山福祥寺を建立。
887年(仁和3年)
在原行平公、須磨に配流(松風村雨の物語)と伝えられている。
1169年(嘉応元年)
源頼政寺領三カ所を寄進。聖観世音菩薩・薬師如来を本尊として、房舎十二宇あり。
1183年~(寿永2年)
源平の乱で縁起・記録類散逸。
1184年(寿永3年)
一ノ谷の合戦 平敦盛卿はじめ源平の武者戦死。
1222年(貞応元年)
薬師仏を須磨村に付与(薬師寺)。
1360年(延文5年)
金堂・釈迦堂・鐘楼、33体の仏像の半分、経典、法具が大火によって消失。
1365年(貞治4年)
再建始まる。これより約50年かけて宮殿(国重要文化財)等の造営、整備が行われる。
1371年(応安4年)
観阿弥により勧進猿楽行われる。
1427年(応永34年)
赤松氏を討った細川氏の侵攻により、本堂・惣門を残し境内破壊される。が、翌年より復旧始まる。
1490年(延徳2年)
三重塔、造営される。
1496年(明応7年)
塔頭、大聖院住持沙門弘源再建のために勧進を行う。
勧進沙門
勧進沙門
1502年(文亀2年)
寺山をめぐる争いで代官により、境内破壊される。
1526年(大永6年)
講堂を上棟。本尊、敦盛絵像、青葉の笛を展観。(敦盛ゆかりの寺として有名になっていた。)いつの頃からか、青葉の笛を公開し、笛見料を集める。
1596年(文禄5年)
大地震により、本堂など倒壊。
1602年(慶長7年)
豊臣秀頼公、片桐且元公により再興。慶長期には、花巌院、宝生坊、正堂坊、大聖院など15の塔頭があった。現本堂完成。
紙本著色参詣曼陀羅図
紙本著色参詣曼陀羅図(桃山時代)

参詣人で賑わう寺の景観を画面いっぱいに描き、上方の左右に日輪・月輪を配する参詣曼陀羅の一種である。須磨寺は、庶民信仰の寺であり、文禄5年(1596)の大地震の時には西国巡礼の150人もが通夜していた。本図にも公家らしい風体の者、武士、巡礼人、琵琶法師など多数の人々が描かれている。本図には前述の大地震で倒壊した三重塔が描かれていることなどから、文禄年間頃までの景観を描いたものと考えられる。

1680年(延宝8年)
本尊、宝物の開帳が大人気。参詣者のために「福原びんかがみ」(道中案内記)など出版。
1688年(貞享5年)
松尾芭蕉翁、須磨を訪れて発句「須磨寺やふかぬ笛きく木下やみ」(笈の小文)翁の書簡に、青葉の笛、敦盛赤旗名号と多数の宝物を開帳しているとある。
1733年(享保18年)
敦盛公550回忌御開帳にへ、境内に10件もの芝居、からくり小屋、門前には茶屋、料理屋が立ち並ぶ。
紙本著色境内絵図
紙本著色境内絵図(江戸時代)

境内絵図は須磨寺と周辺部を俯瞰(ふかん)的に描いたもので、12の子院、子坊がみえる。寛政12年(1800)の西須磨村明細帳写には12坊とあり、この絵図はその頃の景観を描いたものであろうか。

1750年(寛廷3年)
山崩れで大破。
0000年(宝暦●年)
改築。
1891年(明治24年)
若木の桜にちなんで寺内桜の名所となり、須磨寺を中心とした大遊園地ができる。
1946年(昭和21年)
真言宗須磨寺派開宗。
1984年(昭和59年)
三重塔 落慶。
1995年(平成7年)
阪神淡路大震災により、塔頭 桜寿院、蓮生院本堂倒壊のほか、本堂、護摩堂、客殿、納骨堂等破損や、石灯籠、墓石倒壊等境内全域で甚大な被害を受ける。
1999年(平成11年)
納経所改装 2000年(平成12年)竣工
寺務所・納経所改修
頼政薬師寺再建
2001年(平成13年)
桜寿院本堂再建
2003年(平成15年)
本堂解体修理・改修
2006年(平成18年)
蓮生院本堂再建
2007年(平成19年)
大師堂解体修理・改修
2012年(平成24年)
護摩堂改修
2013年(平成25年)
奥の院改修
2014年(平成26年)
出世稲荷・三重塔改修
2017年(平成29年)
経木供養所(八角堂)建立