一絃琴発祥の地「須磨」に伝わる伝統の調べ

一絃須磨琴保存会

一絃須磨琴保存会について

我が国における一絃琴の歴史は、今から一千百余年の昔(平安初期)、中納言在原行平卿が、勅勘を被って須磨の地に流されたとき、渚で拾った板切れに冠の緒を張って琴を作り、岸辺の葦の茎を爪にして、その琴を弾じながら、はるか都を偲び、自らの寂寥を慰めたのが始まりと伝えられています。このため、古くから「須磨琴」と呼び慣らわされてきました。江戸時代に河内国の高僧覚峰律師によって復興され、名人真鍋豊平の活躍もあり、幕末から明治前半にかけては、高貴風雅な音楽として、文人墨客の間に愛好されていました。しかしその後、西洋音楽の流行等におされて衰微の一途をたどり、太平洋戦争後には、一絃琴を演奏できる人はほとんどいないというような状態になってしまいました。
一絃須磨琴保存会は、須磨琴発祥の地・須磨に、その伝統をよみがえらせ、守り育てることを目的として、須磨寺前管長小池義人氏の努力により、昭和四十年、須磨寺を本拠地として発足しました。須磨寺は、中興の祖・覚峰律師が、自ら作成のうえ奉納した現在最古の須磨琴や、名人真鍋豊平の遺品を多数所有している、須磨琴に非常にゆかりの深い寺です。
一絃須磨琴保存会は、古典曲の保存伝承につとめるかたわら、現代感覚を盛りこんだ新しい一絃琴音楽の確立をめざして、楽器の改良や低音琴の開発、新曲の工夫を重ね、他の和・洋楽器との合奏にも取り組んできました。当初は微々たる存在でしたが、詩情あふれる須磨、平家哀史に彩られた須磨にふさわしい音楽としての魅力が認められたのでしょうか、次第に発展を続け、今では東京や長野等の遠隔地を始め、大阪から神戸、姫路にかけて、二十数カ所の教室を開いて、真剣な練習を続けています。また、地元の小・中・高校からの要望にこたえて、若い人たちへの指導にも力を入れ、後継者の育成を図っています。一絃須磨琴保存会は、昭和51年に兵庫県重要無形文化財の指定を受けて以来、兵庫県文化賞、神戸市文化賞の他各種の賞を受け、昭和六十年には、地域文化に対する功労を認められて、文化大臣賞を受賞しました。
昭和五十五年皇太子殿下・美智子妃殿下御来県の砌、御前演奏をさせて頂き御嘉賞のお言葉を賜りました。これが機縁となり、美智子妃殿下のお誕生日にお祝として皇太子殿下が須磨琴をお買上げ下さいました。さらに平成十年の須磨琴演奏会には皇后陛下の御台臨を仰ぐという光栄に浴し、本会の大きな誇りになっています。

一絃須磨琴保存会略年表

昭和32年 一絃琴研究家真銅甚策氏須磨寺を訪れて、宝物殿陳列中の須磨琴が中興の祖覚峰律師の真作・真筆にして稀有の文化財であることを鑑定して発表、須磨寺における須磨琴復興運動の萌芽を作る。
昭和33年 無形文化財保持者、秋沢久寿栄女史の須磨琴演奏会を須磨寺で開催。
昭和36年 無形文化財保持者山城一水、平野美子、倉知素風三女史の須磨琴演奏会を須磨寺で開催。この演奏会が機縁となり一絃須磨琴保存会設立の必要性が話し合われた。この年より和田 国子先生50年ぶりに倉知先生の指導を受けられる。
昭和39年 保存会設立準備
1.指導者 加藤盛男氏を通じ和田国子先生に依頼。
2.会員 須磨寺お茶の会のグループ(北須磨小学校PTA)の方々に呼びかける。
3.琴   指物師宅田氏に依頼して製作。
4.芦管  竹で作る。
昭和40年 保存会発足。第1回練習日1月10日、「清きなぎさ」を習う。会の名称は、「一絃須磨琴保存会」と定める。入会者10名。
昭和40年
6月
保存会発足を祝って、倉知先生からお歌を頂く。
「さくら花 みねみねごとに 咲きそめて 霞もにほふ 春のあけぼの」
この歌からとって保存会の通称を、「あけぼの会」(和田先生の命名)としたが正式には一絃須磨琴保存会の名を用いつづけることとした。四名入会。12月迄に5名退会、会員数9名となる。
昭和42年 41年入会者0のため、より広い普及をめざして保存会々員が北須磨小学校PTAを母体として勧誘につとめ7名入会。但し2名退会のため会員数14名。
昭和43年 和田先生、倉知先生から奥伝皆伝を受けられる。会員数25名となる。
昭和47年 音楽としての須磨琴の確立をめざして和田先生と分離、自主独立の路線を歩むことになる。
会員43名中保存会に残った者12名。大多数の方は先生と共に教室を移られ、残った者で、はじめの一絃須磨琴保存会を存続させていくことになる。
「新平家史跡めぐりバス」連日の如く来寺、依頼をうけ乗客に演奏、会員増えはじめる。
昭和48年 神戸市教育委員会より伝統芸能伝承団体の認定をうける。
低音琴を考案、合奏を始める。
詠歌の伴奏を研究、国際会館で発表する。
教則本「須磨琴のしらべ」発刊。
尺八との合奏曲発表会を行う。
昭和49年 舞踊曲作曲、東京新橋演舞場で発表。 モダンバレーの音楽担当。
昭和50年 全国一絃琴諸流大会開催。
フリュート合奏曲、尺八・三絃・箏合奏曲その他新曲発表。
文化庁芸術祭参加モダンバレー優秀賞受賞(音楽担当 三浦徳子)。
三越名人会に出演。
昭和51年 兵庫県無形文化財の指定をうけ、小池美代子が技術保持者に認定される。
三重県政百年記念民俗芸能大会に県代表として出演し文化庁長官より感謝状をうける。
昭和52年 レコード第一集出版 神戸市立全中学校に寄贈し市長より感謝状をうける。
文化財指定記念演奏会開催。
文化庁芸術祭参加NHK邦楽百選出演。
昭和53年 兵庫県文化賞受賞。
神戸商工会議所100周年記念式典に50名の大合奏。
昭和54年 日本芸能新聞社グリーン・リボン奨励賞受賞。
神戸新聞社平和奨励賞受賞。
高松宮同妃両殿下御前演奏。
詩と一絃琴による構成詩発表会。
NHK邦楽まわり舞台出演。
昭和55年 兵庫県文化100選の指定をうける。
皇太子殿下美智子妃殿下御前演奏。
昭和56年 ポートピア81兵庫県館に於て終日BGM。
第1回邦楽名人会出演。
国立劇場に於て演奏会開催。
皇太子殿下・妃殿下のために須磨琴お買上げ、レコード楽譜等献上。
昭和57年 CBSソニーより須磨琴レコード第2集発売、神戸市立高校及び老人ホームへ寄贈する 第2回東京公演開催、大盛況にて東京教室開校となる。 神戸港入港外国船歓迎演奏 10回。
昭和59年
12月末
教室数/12、 会員数/250名。
他 県立神戸高校須磨琴クラブ、県立須磨東高校須磨琴クラブ、市立高倉中学校須磨琴クラブ、私立塩屋幼稚園須磨琴クラブ。